自己紹介 その②(障碍者手帳編)

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『Ayammyのみんな違ってみんないいラジオ』

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皆様こんにちは。

本日は、私の自己紹介の2回目です。
障碍者手帳取得、その前後について触れてみます。

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父が倒れたのは、私が20歳の頃でした。

父は小さく自営業をしていましたが、病床に伏す数年前からその風向きがかなり悪くなっていました。
その状況を私たち家族 母・妹・私に言えずにいたようです。
そして、父の身体も心も事業も、倒れました。

原因は、脳梗塞と肺炎。
父は、左半身不随となり、嚥下障害を併発。
1日のほとんどを、自宅のベッドの上で過ごす生活が8年続きました。

正直、私には父の病状や気持ちへの寄り添いが不足していました。
世の中の様々な制度や社会資源を上手に活用できていなかったのです。
そのことで、漠然とした不安やストレスがありました。

父は、うつ症状も併発していました。
リハビリは思うように進みません。
今なら、心の状態が整っておらず、身体も思うように動かなければ、辛いリハビリに意欲的に取り組むことはかなり難しいと想像できます。

当時の私には、その状況への寄り添いが全くできていませんでした。
私は、家族の状況がいっぺんに代わってしまったことや、自分の目の状態が悪くなっていることなど、全てを父にぶつけていました。

20代前半といえば、就職活動や社会人としてのスタートなど、人生のステージが大きく動く大切な時期です。
また、私は父が42才の時の子で、友達の親とは世代が少し違いました。
友人に話をしても、なかなか状況や気持ちへの共感を得られる感覚は少なく、誰かに聞いてもらおうとも思わなくなっていきました。
私の心は、大きなストレスを抱えることになりました。

社会人になって最初の仕事は、日系企業での営業アシスタントでした。
一方、仕事を初めて半年も経たない内から、語学留学を志し、お金を貯め始めます。

就職して1年経過した頃、職場のゴミ箱につまずくことが出てきます。
職場のデスクの配置は、4~5人のグループごとで、各自の足元にはゴミ箱が置いてありました。
毎日決まった場所に配置されていれば蹴飛ばすこともなかったのでしょうが、いつもと違う場所にずれていたりすると認識できないことが出てきました。

他にも、職場のパソコンが見えにくいなと感じたり、白地に黒い文字よりも、黒い背景に白抜きの文字の方が読みやすいなと感じるようになってきます。

生活の様々な場面を通して、少しずつ自分の異変に気付いた私が、
久しぶりに眼科を受診して、視覚障害5級の申請対象であることがわかりました。
社会人2年目のことです。

実際に真っ赤な手帳を手にした時、それはものすごいショックでした。

「手帳を持つ前の自分」と「今の自分」、
一体何が違うのだろう、とそんなことを考えていました。

手帳の取得と、留学準備が整い退職したのは、ほぼ同時時期でした。

留学は、新しい世界に飛び込むようなものです。
“今まで”を知らない人間関係・リセットされたような新しい環境の中で、障碍者手帳を手にした自分がどう変わったのか確かめたいという想いもありました。

結局、当たり前ですが、何も変わっていません。
私は、私。
このことを、再認識しました。

私が訪れたのは、ニュージーランド。バリアフリーの国です。
ショッピングモールや街中で、車いすユーザーの方がご家族と楽しそうに買い物をする、そんな光景を度々目にしました。
そしてこの光景は、自分の中で時間の経過と共に”当たり前”になっていきました。
私にとって、
ショッピングモール x 車いすユーザー x 家族連れ x 楽しそう
この組み合わせはとても新鮮でした。
日本での生活での私にとって、車いすは、目をひくもの、珍しいもの。
この認識にも気づかされ、自分のことを恥ずかしいなと思いました。

ニュージーランドでの学校生活では、視覚障害のことを隠さずにオープンにしてみることにしました。
ここでの私のチャレンジは、見かけや振る舞いでとらえにくい自分の状況を伝えること。
ただ目が悪いといっても、あまり周囲からの理解を得られないことでした。

・何が苦手
・何ができない
・どういうサポートが欲しい

これらのことをうまく表現できず、自分でも自分の見え方を適切に理解できていなかったと思います。

授業には朝早く起きて予習、夜は宿題や復習。
読むスピードが非常に遅くなっていたので、
その日の授業内容を把握し、演習問題を前もって説いていかないと、完全に置いてきぼり状態でした。

ニュージーランドでの生活は半年ほどでした。
初めてこれ程の期間家族と離れて生活し、
自分の働いたお金で様々な経験が出来ました。
今振り返っても、このタイミングで思い切って留学することができて本当に良かったなと思っています。
それから、
家が大変な時に私の留学を応援してくれた母と妹にも感謝をしています。

帰国後、
障碍者手帳を持って転職活動に入りました。
せっかく学んだ英語に触れ続けたいという想いから、外資系企業の人事部に所属することになります。

ニュージーランドでは障害のことをオープンにできていたのですが、
転職先では、必要最低限の人にしかお伝えしませんでした。

隠していました。

色眼鏡で見られることを恐れていたこともありますが、
何より、自分で自分の障害のことを受けとめてあげる準備ができていなかったのだと思います。

職場のパソコンの画面設定は、ハイコントラストの白黒反転にしていましたが、
自分の画面が他の人の視界になるべく入らないように、パソコンの位置を工夫していました。

入社して3年目くらいまでは、書類作業もそれなりにこなしていたのですが、
だんだん、作業に時間と体力をかけなければこなせないようになってきます。
残業が増え、早朝から終電のような時間までオフィスにいたり、 
週末に書類を家族に読み上げてもらってこなす、そんな状況がしばらく続きます。

この頃の私の状況・感情を、職場と私生活に分けてまとめると、次のようになります。

○職場
・様々な場面でコミュニケーションに齟齬が生じ始める。
・読み書きや手作業、移動に不便を感じ始める。
・他の人と同じペース、同じやり方でこなせるようにもがく。
・自分でどうにかしようと必死。
・障害を言い訳にしたくない・されたくない。
・障害のことはできるなら隠したい。
・障害があっても、きちんと評価されたい。

○私生活
・生活は、ほとんど職場と自宅の往復のみ。休日は自宅に引きこもりがち。
・見えづらくなった自分に劣等感を感じ、学生時代の友人に合うのを避けるようになる。

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本日はここまで。

次回、退職を決意します。